徒然なる日記 ~オリンピック~

連日、リオ五輪で日本勢の快挙が続いています。朝起きる、昼に携帯でニュースをみる、何かをするたびにメダルが増えているような印象です。

中でも、団体と個人で2つの金メダルをとった内村選手や卓球で初の個人メダルをとった水谷選手のメダルを取った瞬間の表情、喜び方、コメントが強く心に残っています。もちろん、ほかのメダリストの方や、メダルをあと一歩で取ることができなかった選手も同様です。日本以外の選手ではありますが、卓球の福原愛選手を破り、銅メダルと獲得した北朝鮮のキム選手の号泣ぶりも記憶に残っています。

何が言いたいのかというと、どの選手にも共通していると感じることが、当たり前ではあるがオリンピックに相当のものを懸けているということ。だからこその、心の底から出てくる、喜び、悲しみ、悔しさがあるのだということ。買った人を見て羨ましいと思うのはある意味当然ではある気がするが、負けた選手を見てもどこか羨ましい気がします。もちろん、必要以上に世間から攻められたりというようなこともついてくるのだとは思いますが。

先述のオリンピックに出ている選手の表情やコメントが印象に残るのはなぜか。もちろん、世界のトップレベルでアドレナリン全開の人たちに人々が釘付けになるのは自然なことであると思う。だからこそ、熱狂し、感動し、時には暴言なども出てしまうのだと思う。そんなスポーツの素晴らしさとは別に、自分自身の”挑戦できているのか"という現状が、なにかオリンピックを見ていて度々引っかかる要因であると思う。達成して泣けるほどの目標があり、それを達成するという経験を現状のままで今後できるのだろうか。少し不安を感じた。

大きい小さいはあまり問いたくはないが、できれば大きい目標に向け行動していきたい。じゃあ、なにでそれをしていくのか。仕事、プライベート(sportsや趣味、人間関係)、それぞれであっていいと思う。ばかみたいでも、笑われても、達成・実現できることを想像するだけでにやにやしてしまうようなものに向かって歩んでいきたい。 

 

# スポーツビジネス大きくならないかな。